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名古屋高等裁判所 平成6年(ラ)188号 決定

抗告人 X2

原審申立人 X1

被相続人 A

主文

原審判を次のとおり変更する。

一  被相続人の相続財産のうち、300万円を原審申立人に分与する。

二  抗告人の申立てを却下する。

理由

一  抗告人の抗告の趣旨及び理由は、別紙即時抗告申立書(写)のとおりであり、これに対する原審申立人の主張は、別紙主張書面(写)のとおりである。

二  本件記録及び関係記録(平成4年(家)第×××号相続財産管理人選任事件とこれに関連する事件の記録)によれば、次の事実が認められる。

1  被相続人は、昭和○年○月○日に父B(昭和58年8月17日死亡。以下「亡B」という。)と母C(昭和33年12月28日死亡)の三女として生まれ、平成3年12月16日に死亡した。被相続人には兄妹が4人いたが、いずれも結婚しないまま、昭和43年1月までに死亡し、被相続人も死亡するまで結婚せず、子を産んだこともなく、相続人のあることが明らかでなかったことから、平成4年7月21日付で抗告人の申立てにより相続財産管理人として弁護士○○が選任され、民法957条1項、958条所定の公告の手続をしたが、相続人の届出はなく、また、抗告人及び原審申立人以外には相続債権者及び受遺者として権利を主張する者はいなかった。

2  被相続人は、出生以来亡父母とともに名古屋市○○所在の建物(五軒長屋の1戸)に居住して生活してきた。右建物とその敷地は昭和24年6月に亡Bが所有者から買い受けた(代金1万9970円で、頭金3000円、後は3年弱の分割払い)ものである。

被相続人は、知能が低く、亡父母も知能が低かったため被相続人に基本的な生活習慣や社会的な躾を身につけさせることができなかったこともあって、定職にはつかず、亡Bが生存中は亡Bに養われ、亡Bの死後は知恵遅れの人のための授産施設で働いた収入や生活保護費で生活してきた。昭和60年9月には抗告人の夫(被相続人の母の実兄)Dの遺産約5000万円を相続したが、酒好きで、東京のホストクラブで遊ぶなどして、2、3年で費消し、平成3年4月からは再び障害基礎年金と生活保護費で生活するようになった。

被相続人は、家事の能力がなく、食事はすべて外食に頼り、掃除・洗濯もせず、多数の猫を飼っており、家の中は散らかし放題で、足を踏み入れることもできないほどであったが、被相続人は他人の干渉や他人が家の中の物に手を触れることを嫌ったので、右の状態は改善されることはなかった。

被相続人の相続財産としては、亡Bから相続した右土地建物(ただし登記名義は亡Bのままであった。)があったが、相続財産管理人によって、平成5年2月10日に2200万円で売却され、抗告人及び原審申立人に対する相続債務や経費等を支払った残金は預金され、平成6年8月4日現在の残額は原審判別紙目録に記載のとおりであり、右預金以外に相続財産はない。

3  抗告人は、D(昭和60年1月24日死亡。以下「亡D」という。)と昭和13年9月に結婚し、亡Dとともに、戦前は婦人服の布地の販売、戦後は名古屋市ほか数か所でパチンコ店を経営していたもので、被相続人と生計を同じくしていた者ではないが、亡Dは生前は亡Bや被相続人の面倒をみ、亡Bが割賦で買い受けた前記土地建物について、裁判費用を援助するなどして亡B名義にさせ、亡Bが入院した際には治療費なども負担していた。

被相続人も亡Dを頼りにしていたが、抗告人は被相続人を保護することを好まなかったので、被相続人も抗告人に好んでは近づかず、亡Dの死亡後は金銭に窮したときなどに寸借のため抗告人のもとを訪ねる程度で、抗告人において特に被相続人の世話をしたことはなく、被相続人の死亡に際しても、葬儀(前記授産施設の管理者が行った。)に出席したり、香典その他の特別な金銭の出費をしたことはなく、後片付けもしなかった。

なお、抗告人は、相続財産管理人に相続債権の請求をし、75万9700円及び106万8475円の支払を受けたが、その内訳は入院関係諸費用が主なもので、亡Bに対する生活費及び被相続人に対する小遣いを少し含んでいるが、すべて昭和57年中及び同58年中に発生したものである。

4  原審申立人は、被相続人とは親族関係にはないものの、被相続人と同じ五軒長屋の1軒置いた隣に古くから住み、近隣の住民が被相続人に近づかない中で、家事ができず、家の内外が散らかし放題のため近隣からの苦情が絶えない被相続人を放置できず、屋内に立ち入ることはできないものの、建物の外を掃除したり、食事を届けたりしてきた。被相続人は、20歳過ぎ頃、妊娠したことがあったが、妻と死別した亡Bはこれに気付いて原審申立人にその確認を依頼し、原審申立人は被相続人を銭湯に同行して確認のために協力したりした。

昭和43年頃に亡Bが前記建物の一室を遊び人に間貸しし、お好み焼き屋を始めさせたところ、亡Bや被相続人の方が追い出されかねない有り様となったが、亡Bに泣きつかれた原審申立人は、右間借人と粘り強く立退きの交渉をして、昭和50年頃ついに立ち退かせたことがあった。

さらに、被相続人は、若いうちから糖尿病を患い、後には腎臓を病んで、入院もし、退院後は1日置きに人工透析を受ける必要があったが、病院の送迎車が来ても通院することを嫌っていたため、原審申立人は、被相続人を叱りつけて、送迎車に乗せたり、タクシーを呼んで通院させたりしていた。

被相続人の入院中は、見舞いに行ったり、寝衣を届けたりもしている。また、亡Bの葬儀も亡Dや近隣の住民と共同して執行した。

このような間柄であったため、被相続人は原審申立人を頼りにしており、生活保護費を預けることもあり、亡Bの死亡を発見した朝は原審申立人宅に急報して援助を求めたし、被相続人自身の死亡直前にも、原審申立人宅に体の変調を訴え、救急車の手配を受けている。

このような原審申立人の被相続人に対する関わり方を、民生委員は、普通ではなかなかできないことと評価している。

原審申立人は、被相続人にときどき小遣い程度の金銭を援助したことがあったが、これについては相続財産管理人から42万6500円の支払を受けた。

5  被相続人の相続財産管理人は、本件について、抗告人に相続財産全部を分与することが相当であるとの意見を提出している。

三  右に認定した事実に基づいて、判断する。

1  抗告人及び原審申立人は、いずれも被相続人と生計を同じくしていた者には当たらない。

2  抗告人は、その夫亡Dが被相続人の伯父に当たるという身分関係にあるが、抗告人自身は被相続人の療養看護に努めたとは認められず、前認定の事実からすれば、被相続人に対し、関わりたくないという態度に終始したものと言える。抗告人の夫亡Dについては、亡Bや被相続人の生活の面倒をみたり、居住の確保に尽力したりしているので、療養看護に努めた者と評価することができるけれども、特別縁故者たるべき地位は相続の対象とはならないし、抗告人と同居の夫Dが特別縁故者たるべき地位にあったことをもって、抗告人が「その他被相続人と特別の縁故があったもの」ということもできない。

3  次に、原審申立人は、亡Bの生存中から亡Bと被相続人に何かと頼りにされていたが、亡Bの死亡後も、前認定のとおり、知的に劣り、通常の生活能力を欠く被相続人に対し、近隣の住民が被相続人との関わりを避け、厄介者扱いをしている中で、自らの発意で、被相続人の保護に努め、生活上の援助をし、唯一被相続人の療養看護にも力を貸した者ということができ、被相続人は、原審申立人の指導に素直に従う関係ではなかったものの、原審申立人を頼りとし、もし被相続人が遺言をしたとすれば遺贈の対象となったであろうと思われる者であると言える。

したがって、原審申立人は、療養看護者とまでは言えないまでも、これに準ずる程度に被相続人を保護し看護した者であり、相続財産の一部を原審申立人に分与することが被相続人の隠れた意思に合致するところの、被相続人との間に密接な関係があった者であって、「その他被相続人と特別の縁故があった者」に当たると言うべきである。

4  そこで、原審申立人に分与すべき金額を検討すると、前認定の諸般の事情を総合考慮すれば、相続財産のうち300万円を原審申立人に分与するのが相当であり、その余の相続財産は国庫に帰属させることが相当である。

四  よって、これと異なる原審判は一部相当でないので、これを変更し、原審申立人に300万円を分与し、抗告人の申立ては却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 小松峻 松永眞明)

(別紙)

名古屋高等裁判所 御中

抗告代理人 ○○

当事者の表示〈省略〉

即時抗告申立書

抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を名古屋家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

1 原審判は、次の理由から、被相続人の相続財産である預金1872万0598円のうち、500万円を申立人X1に、その余を申立人X2にそれぞれ分与する、との審判を下した。

(1) 申立人X2は被相続人の亡母の兄の配偶者であるが、被相続人がその亡父から相続して住んでいた土地と建物は、被相続人の亡父がこれを購入するに当たり、同申立人が夫と協力して代金の相当部分を融資してその取得を容易にしたものであり、また、同申立人は、夫と協力して、被相続人の亡父や被相続人が病気で入院していた際、医療費、家政婦代及び光熱費等の立替払いをするなどして生活の面倒を見た。

(2) 申立人X1は、被相続人の近隣に住む者として、被相続人の両親が生存中から近所付合いをしていたが、知的障害者でだらしなく、近所でも苦情の絶えなかった被相続人に対し、他の者はかかわらないようにしていたが、同申立人は民生委員に働き掛けたり、おかずを持っていったり、お金を貸すなどしてそれとなく面倒を見てきたので、被相続人に対する生活保護の給付金も同申立人に預けられたりしていた。

(3) 以上によれば、本件申立人らはそれぞれ被相続人と特別の縁故があった者と見るのが被相続人の意思に合致するところであろうと考えられるので、被相続人との縁故の度合を考慮し、主文のとおり審判する。

2 原審判は、「被相続人との縁故の度合を考慮し」て、申立人X1に500万円、申立人X2に残余(約1372万円)を分与したわけであるが、残余からは相続財産管理人報酬が差し引かれるので、その比率は1対2強にとどまる。しかし申立人X1と申立人X2の次のような縁故の度合からすれば、仮に申立人X1にいくらか分与されるとしても、このような分与比率は全く不当である。

申立人X1        申立人X2

関係      近隣の住人      義理の伯母・姪

住居購入資金  全く負担せず     一切を負担した(融資ではない)

裁判の援助   全く援助せず     一切を援助した

入院治療関係費 全く負担せず     一切を負担した(約170万円)

(その間の生活費を含む)

見舞い     3カ月のうち8日程度 10日ごとに見舞った

Bの葬儀  全く関与せず     一切を執り行った(約31万円)

X2夫の遺産  無関係       被相続人は5200万円の金融資産を取得した

小遣い     渡していない    X2が被相続人の相続税を支払った約5年間にわたって30万円~60万円渡した

3 この中で、申立人X2夫婦が、住居購入資金の一切を負担した点は極めて重要である(原審判は融資したと認定しているが、そうではない)。なぜならば、本件住居は知恵遅れの被相続人にとって全ての生活の基盤であったばかりか、本件相続財産の全部はこれの売却代金だからである。申立人X1が、被相続人の家事や食事の世話をしたことがあったとしても、またBが倒れたときの入院手続きや被相続人の生活保護手続きをしたことがあったとしても、これらのことは本件住居という生活基盤があってのことであるし、本件相続財産の形成に寄与したものでもない。

申立人X1の縁故に対する申立人X2の縁故は、1対2強というような程度の差ではなく、全く質的に異なるものというべきである。

4 申立人X1が、「被相続人と生計を同じくしていた者」でないことは明らかであり、「被相続人の療養看護に務めた者」でないことも疑いを入れない。それでは「その他被相続人と特別の縁故があった者」と言えるであろうか。

東京家審昭和60年11月19日判タ575号56頁は、被相続人と生計同一者、療養看護者でなくても、これに準ずる程度に被相続人との間に具体的かつ現実的な交渉があり、相続財産の全部または一部をその者に分与することが被相続人の意思に合致するとみられる程度に被相続人との密接な関係があった者がこれにあたるとする。

大阪家審昭和38年12月23日家月16巻5号176頁・判タ170号270頁は、50余年にわたり師弟・元近隣の長幼として交際し、申立人の壮年期以後には、身寄りなく孤独であった被相続人を援助し、いつも形影相伴うかのように、よき相談相手、生活上の助言者として関与し、その孤独寂寥を慰め、経済面でも相倚り相助けて、被相続人死亡に際して、肉親以上に心のこもった世話をつづけ、いわゆる死水を取った、人生の奇縁ともいうべき者の例である。

大阪家審昭和41年5月27日家月19巻1号55頁・判タ209号263頁は、家屋を購入してやり、10年以上にわたって被相続人一家の生計を援助してきた被相続人勤務の会社代表取締役の例である。

全くの他人でも、この2つの例のような場合であれば、何人も「特別縁故者」であることを納得するが、千葉家審昭和39年2月28日家月16巻8号115頁・判タ174号178頁は、申立人の行為は、被相続人と懇意である近隣の人々であれば、何人もなしうる程度のものであるとして、「特別縁故者」であることを否定している。

5 申立人X1のしたことは、民生委員に働きかけたり、おかずを持っていったり、42万円余りのお金を貸したりといった程度のかかわりである。被相続人と懇意である近隣の者として善意ある人であれば、なし得ない程度のものではなく、「特別縁故者」とまでは言い得ない。仮に、原審判のいう「知的障害者でだらしがなく、近所でも苦情の絶えなかった被相続人に対して、他の者らはかかわらないようにしていた」という点を最大限に評価して、申立人X1が「特別縁故者」と言い得るとしても、前述した申立人X2の縁故に比べれば、その度合において質的にはるかに薄いものと評価すべきである。

6 申立人X1に相続財産は分与されるべきではなく、仮に分与されてもせいぜい100万円以内程度に止められるべきである。よって、本件相続財産の全部もしくはほとんど全部が申立人X2に分与されるべきであるから、抗告の趣旨どおりの裁判を求める。

(別紙)

平成6年(ラ)第188号

主張書面

当事者の表示〈省略〉

平成6年11月7日

原審申立人代理人弁護士 ○○

名古屋高等裁判所 御中

原審判が亡Aの相続財産についての特別縁故者として、抗告人と原審申立人X1の両名を肯認したことについて経験則違背はみあたらない。そして問題はその特別縁故の度合即ち比率についてであることも抗告人指摘のとおりである。この点につき、抗告人は自己側の特別縁故の比率が極めて高い旨を縷々主張するが、事案の経緯を直截にみる限り、原審判が原審申立人X1に500万円の限度で肯定し、その余である大部分の範囲を抗告人に分与する旨審判したのは抗告人側に比重をかけすぎた嫌いがないではない。

二 残存した相続財産の重要な渕原に該る名古屋市○○所在の土地建物を被相続人の父(B)が取得するについて、抗告人の夫亡Dの助力があったかとも思われる。しかし原審申立人にとっては、前記土地建物の取得代金を亡Bが調達するについて、詳細な事実の解明をするに足りる資料を持合せない。抗告申立書の記載によれば、前記土地建物の購入代金を抗告人が一切を負担したとあるが、この主張は事実と相違する。抗告人は負担していない。負担したかもしれないのは前出のとおり抗告人の夫Dである。亡Dは、自分の妹C一家のために、右一家が以前より賃借する長屋式家屋42.14平方メートルとその敷地75.37平方メートルを地主兼家主が分譲するにつき、昭和47年当時の金銭で30万円ないし35万円を妻である抗告人に敢て秘匿して与えたか貸付けたものと推測できる。この30万円ないし35万円というのは、はっきりしない個所が多いことを断ったうえで推認すると、昭和47年当時要した登記印紙手続費用や弁護士費用や貼付印紙・預納郵券や多年の固定資産税都市計画税を含めたものである。示談金ないし解決金的なものも包含されるかもしれない。本来土地建物購入代金は、昭和20年代に契約したもので2万円を下廻る金員であり、この2万円弱は亡Bが月賦払方式で自己の得る給与でまかなったものである。抗告理由指摘の裁判費用を抗告人が負担したというのも事実に反する。これは前記30万円ないし35万円に包含されており、亡Dが負担したかと思われる。なお抗告人が自己の特別縁故の事由として自己において負担した旨指摘するところのものが、亡Dにおいて負担したものを指すとするならば、それは特別縁故の相続承継を主張することに帰し、特別縁故者地位の承継を許さない理論からみて過剰な主張となる。

三 土地建物の取得代金(より正確には確保代金)中の或る範囲を亡Dが負担したかと思われるが、この確保代金を、昭和20年代に始まる狭義の取得代金そのものの数額と、昭和47年頃の前出30万円ないし35万円という数額とを単純に比較して後者の数値が大きいことを強調するのは正確を欠く。金銭値段の年代に伴う実際の大きさから判断すべきだからである。道路に面する土間、続く6畳間、その西の3畳間を占拠して自分のかかえる何人目かの女(妾)にお好み焼、タコ焼を売る居酒屋風の商売をした。Eは時々寄り、女性が住込んで商売をしたのである。被相続人Aと父Bは最西の奥6畳一間に封じこまれた。Eの正体は不明だが筋者か筋に近いと推認できる。Bは酒好きで店で顔身知りになったとのことである。お人好しで知能がやや不足するBが、月額家賃1200円か1300円をもらうというエサでつけこまれたものである。このEは土地建物のいわゆる乗取りを企画したものであるが、これに対処して、原審申立人において執拗に反覆して、BとAのためにEに対し、専ら情けにからめた立退方を交渉してやり、昭和50年頃ついに立退かせに成功したものである。原審申立人によるこの根気のつづく交渉がなければ、前記土地建物はBの所有から離れたものと推認できる。なるほど抗告人の夫Dにおいて、土地建物の確保代金の一部を負担したであろうが、土地建物をEから守り、Bに保持させ、続いてB自殺の後のAに保持を続けさせるには、原審申立人X1の右の如き寄与貢献があったことを否定できない。

四 抗告理由指摘にかかる抗告人の夫Dの遺産分割として被控訴人Aが5200万円を取得したことは、原審申立人はまったく関与していないし、不知であった。亡Aが遺産分割を受けたことは判らない。しかし原審申立人としては、Aの金の使い方が荒くなったことは察知していた。その後原審申立人の聞くところによると、前記遺産分割としてAに取得させたという金は、○○区役所民政係の担当者某に預託されていたとのことであり、かつ、その担当者が原因不明の自殺をしているのであって、原審申立人としては真相が現になおなぞのままである。また、抗告理由指摘の相続税を抗告人が負担したという点も判らない。

五 亡Aの葬儀は名古屋市社会福祉協議会の紹介により亡Aが作業にも出かけていた「△△オペレーション」の責任者が主宰した。葬儀費は亡Aが貰って手持ちした社会保障費、福祉より出る所定葬儀費、△△オペレーションの自己負担の3種によってまかなわれた。抗告人は葬儀にさえ参列していなかったのである。

六 本件の特質は、被相続人A、その父B(昭和57、58年頃死亡)、亡Aの姉F(昭和○年生、昭和41年頃死亡)母C(昭和31年頃死亡)が健全であって通常の知能を備えているとするならば、原審申立人X1がこれまでの50年近い間接触することもないし、介入することなく推移したであろうが、被相続人一家が介助を要する状態で終始したところにある。通常の人であるならば、抗告理由のいうとおり単なる隣人であるし、単純な淡い交渉であったであろうし、したがってその程度でなにが特別縁故だということになろう。こういう人々と関わりをもつことを避けていたという者が多いし、現に抗告人自身もB生存中から没交渉に近いくらい被相続人一家を避けていたのである。抗告人の亡夫Dは、肉親ということもあって配慮したという事実はあるが、抗告人自身に限ってはむしろ忌避してきたといって差支えない。実質上の禁治産か準禁治産である被相続人やその一家を事実上保佐し、後見に近い接遇を長年つづけてきた原審申立人に対し相応の特別縁故、それも抗告人を上乗る特別縁故関係を肯定するのが相当である。

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